エコカフェ

エコカフェ ビーグル号 No.3 2020.Dec

一般社団法人エコロジーカフェ 千代田区神田駿河台2-1-34 プラザお茶の水ビル304

TEL03-5280-2377 http://ecology-cafe.or.jp/

 

新しい隣人・COVID-19との付き合い方

~新宿の医療現場から~

 

この度、光栄なことにエコロジー・カフェのニューズレターに寄稿することとなりました。大学生だった2005年頃よりエコカフェの活動に度々参加し、当時のニューズレターの編集を担当していたことを思い出します。その後、活動に参加できない時期が続きましたが、近年では子供を連れて自然観察会などに参加していました。都会育ちの我が子は、とても楽しそうにはしゃいでいました。

そんな私と子供の平穏な(?)エコカフェ活動に水を差すのが、昨今の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)です。様々なプラットフォームを提供してきたエコカフェの活動に制限をかけさせる忌まわしき存在です。このCOVID-19と私たちはどのように付き合っていけばいいのでしょうか。

COVID-19は特別な存在なのか

私は新宿の医療現場で働いています。COVID-19流行のグラウンドゼロとしてマスメディアに喧伝されている、新宿です。

この原稿を執筆している令和2年9月上旬現在、私の職場は特段緊迫した状況とはなっていません。現場を知っているからこそ私は日々の生活に割と安心感を抱いていられるのですが、そうでなければ、マスメディアによる扇情的な報道により暗澹たる気持ちになる方も多いことでしょう。COVID-19では若年者や年少者が亡くなったり重症化したりしたことで、如何にも特別に恐ろしい感染症であるかのような報道がなされていましたが、私はここに違和感を覚えていました。個人的な経験ですが、かつてインフルエンザウイルス感染症により9歳で亡くなった方や23歳で亡くなった方を診たことがあります。でも報道はされません。私自身、23歳の時に(ウイルス感染症ではありませんが)マイコプラズマ肺炎から髄膜炎に至り、大学病院のICUに入るなどして死線を彷徨ったことがありました。つまり、COVID-19を恐れるな、と言いたいのではなく、COVID-19を特別視せ

ずに恐れよ(他の感染症も怖いんだぞ)、と言いたいのです。単に報道されてこなかったか、報道されても小さい扱いしか受けてこなかったのです。COVID-19こそ集団感染がそこかしこでニュースになっていますが、以前からインフルエンザウイルスの集団感染により、病院や高齢者施設で何十人も感染し、何人も亡くなったというニュースは毎年何件もありました。しかし多くの人は気づかなかったか、気づいても大したことではないと勝手に矮小化して捉えていただけなのです。例年1万人程度がインフルエンザウイルス感染症による超過死亡者数として計上されています。

ポストコロナ、ウィズコロナという言葉をよく耳にします。ボストコロナと言われてイメージするような「新型コロナウイルスが撲滅された世界」が今後到来する可能性は低いだろうと言われています。「インフルエンザウイルスやその他の感染症と同程度の規模でCOVID-19の感染者や重症者、死者が出続ける世界」、これが現実的なポストコロナだと予想されます。その意味でウィズコロナは的を射ています。ただ、それはことさらに悲観すべきものではなく、人類史の中で繰り返されてきた営為の一つにすぎません。太古より、新規の病原体が出現する度に、その一部が市中感染症として人間世界に取り込まれて共存してきました。エコカフェ関係者であれば、このような地球規模での大局的視点をスムーズに受け入れられる方は多いと思います。

 

1つの感染症がもたらす3つの感染が差別を生み、社会を分断へ導く

感染症は3つの感染をもたらすと言われています。生物学的感染、心理的感染、そして社会的感染です。

生物学的感染とは病原体が体内に侵入して感染が成立することを指します。生物学的感染は目に見えません。治療法も確立されていません(そもそも殆どのウイルス感染症は治療法がないので

すが)。それが市民の不安や恐怖を生み、巷間に広まり、より多くの人が不安や恐怖を覚えるようになります。これが心理的感染です。不安や恐怖が伝播します。感染症に対する知識を身に付け、正しい理解に努めることで不安や恐怖に立ち向かい、これらの理減を図るのが理想的な対処方法ですが、それが難しいという人は多いと思います。医学的知識を基盤に持たないと、専門的な知見を見聞きしてもよく分からず、不安や恐怖に拍車が掛かります。そこにマスメディアによる宣伝が加わって、更に不安や恐怖が煽られます。その結果、不安や恐怖の対象である感染症に関するあらゆる事物や人を遠ざけて回避しようとする人が出てきます。回避によって得られる安堵など所詮はかりそめに過ぎないのですが、藁にもすがる思いでこういった回避行動を取る方は少なくありません。こういった遠ざけようとする回避行動こそが「感染症にかかった人は(たとえ治癒していても)出勤してくるな」「感染症の医療現場で働いている人の家族を保育園に連

れてくるな」といった差別の根源となるのです。それが社会的に広がりをみせた場合、社会的感染となります。

では、社会的感染が蔓延するとどうなるでしょうか。差別を受けることを恐れた感染者やその濃厚接触者は、体調不良を感じても検査を受けようとしなくなるかもしれません。保健所の聞き取り調査にも、感染経路を隠蔽するかもしれません。そうなると、生物学的感染の制御が難しくなり、感染者が増えていく事態となりかません。すなわち、生物学的感染・心理的感染・社会的感染の3つの感染症は互いに密に連関しているのです。なお、専門的な知期がなくとも、昂じた不安に対して適切なセルフケア(上手な気分転換や呼吸法の実践、考え方の偏りの是正など)をできればよいのですが、そのようなテクニックを有する方は多くないのが現実でしょう。「差別とは、上述のように無知を背景とした不安や恐怖によってドライブされているのですが、厄介なのは、当事者はその差別的言一行が「正しい行いだ」と信じて疑わない点だといえます。そうしなきゃこっちの身が危ないんだ」という(誤った)正当防衛の理論を振りかざすのが差別を行う人々に共通する特徴です。ペスト流行時の魔女狩りはその最たる例でしょう。家族に結核にかかったことのある人がいるというだけで婚約を破棄されたり、近所付き合いを拒否されたりという話は戦後間もない頃までよくありました。ハンセン病に至っては強制隔離もなされ、国家までもが差別に手を染めた事例です。精神疾患やてんかんに対しても(表立った差別は現今さほど強くないものの)今だに根強い偏見があるなあと医療現場で働いていて感じます。これらもまた、「近づかれたら自分や家族が感染してしまうかもしれない。若しくは傷つけられるかもしれない。だから遠ざけるのは已むを得ないんだ」という無知を背景とした不安と恐怖に駆られた「正当防衛」の理論です。振り返れば、黒人差別も同和問題も、差別する側は、黒人や被差別部|落住民を自分の安寧な生活を脅かす危険な存在と決めつけ、彼ら

が自分の生活空間と交わらないよう排撃することは致し方のないことだという理論をぶちあげて

いました。つい先頃の我が国でも、福島原発事故の避難者に対して類似の事象が発生しました。今、こうしてCOVID-19を巡る情勢を俯瞰してみると、結核やハンセン病の患者や家族に対して行ってきた仕打ちを、21世紀になって「久しい令和の世界で体感できてしまうことに慄然とします。

そんな中、徐々に経済活動や社会活動が再開されてきています。なにせ医療活動も経済活動の一種ですから、経済が止まればじきに医療も止まります。経済活動を推し進めること自体は、間断なく続けられる必要があります。テレワークも良し悪しで、生活リズムが乱れたり、社会的な交流が減ったりして、精神衛生上悪影響が出ている方もいますし、生活習慣病が悪化した方もいます。COVID-19を契機として新しい働き方、生活様式が社会の中に広がっていくことは決して悪いことではないと思いますが、何から何までCOVID-19に付度(?)する必要はないでしょう。今まで通りの生活を貫き通す部分もあって然るべきです。そうしている間にワクチンや治療薬の開発がなされつつ、市中感染症として定着していくのが最も現実的な未来像だと思います。

 

分断の向こう側、人間を人間たらしめるもの

大規模災害現場ではまずDMAT(災害派遣医療チームが動し、現場で救命活動を行います。それに遅れて数日から数週間後にDPAT(災害派遣精神医療チーム)が現地に赴き、辛うじて難を逃れた人や怪我から回復した人の精神面のサポートを担います。つまり、「生き物としての人間」を救うDMATと、「人間としての「人間」をサポートするDPATと、時間差を設けて介入するのです。人は、生命の危機が迫る時、精神的な不調など気にしている暇も

なく、心にブーストをかけて必死に生き延びようとします。その場一面において、精神面のサポートなど入り込む余地がありません。しかし、喫緊の危険が去り、ふと一息ついた時

、精神的な不調が頭をもたげてくるのです。COVID-19を取り巻く社会情勢も、今このフェーズに入っているように見受けられます。重症化率や致死率は低下しつつあり、「生き物としての人間」を助ける身体的治療は概ね順調になされています。その一方、自粛を強いる社会通念は引き続き顕著で、「自粛警察」が出現して社会が分断されています。精神を豊かに刺激してくれる様々な社会活動を再開する人々と、それをよく思わない人々との分断なわけですが、後者の言動をみていると、活動している人への妬みや嫉みが滲み出ていて、もはや後者の人々は前者以上に活動したい人たちの集団ではないかと思えてしまいます。この状況を打破するためにはやはり「人間を人間たらしめている精神活動」を社会全体で推進していく必要があるのではないかと考えます。「人間としての人間」を確乎としていく作業です。

ここまで考えてくると、エコカフェの活動がその一翼を担うことは論を俟たないでしょう。自然との触れ合い、それに伴う他者交流が豊かな精神性をもたらしてくれます。現在のところは活動自声も已むなしではありますが、できるだけ早い活動再開とともに、五感を使った様々な体験を提供してくれることを期待しています。

 

星野瑞生(ほしのみずお)

プロフィール

宮城県仙台市生まれ、生来自然大好き…というわけでもなく平凡な住宅街の中で平凡に育つ。東京大学農学部応用生命科学課程在学中にエコロジー・カフェと出会う。自然との関わりはもちろんのこと、そこでの人とのつながりが楽しく、活動に参加するようになる。大学院中退後、群馬大学医学部医学科に学士編入学し、医師になる。現在は都内の総合病院にて精神科医長として勤務している。たまに楽器演奏にいそしむ。